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富士山自然便り
2016-09-22

古の吉田口登山道(9月)

今では古の登山道となった「吉田口登山道」を麓から辿ってみました。1700年頃、富士山信仰の中心的な役割を果たした「冨士講」が信者の登山本道をこの吉田口と定めたことから多くの信者が利用した登山道です。

 

北口本宮富士浅間神社の裏手にある木製の鳥居が富士登山の起点となります。

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しかし今日は浅間神社でお参りして、車で行ける「馬返」から登山を開始、五合目の「佐藤小屋」まで標高差800mの往復コースでゆっくり歩き、登り2時間30分、下り1時間45分の行程です。

スタート地点の馬返しには、20台ほどの車を停める駐車場があります。

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いよいよ登山開始となりますが、登山道に入ると古のの雰囲気がすぐに現れます。大文司屋の建物、そして富士講の石碑群が連なって現れ、猿の石像、鳥居、最後の禊ぎを行った跡が残っている。富士山に猿の石像はなぜ?と言うことになるが、富士山が一夜にして湧き出たと言う伝説(富士山出現伝説)があり、その年が庚申(かのえさる)だったことから、猿が神の使いであるとして、祀られたようです。・・あくまでも伝説です。

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馬返しから15分程度で、一合目に到着。「鈴原社」の建物が残っています。現在の建物は江戸末期(1839年)に建てられたもので、建物の構造が当時の技法を使っていることに注目したい。

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一合目から15分足らずの所に二合目の「富士御室浅間神社(本宮)」が現れる。富士山山中でもっとも早く出来た神社で平安時代に社殿がつくられましたが、富士山の度重なる噴火で焼失しています。現在の建物は朽ち果てる寸前にあるが、江戸初期に建てられた歴史のあるものでとても興味深い。

この神社を建立したのは、富士河口湖町勝山の氏子であり、この境内は富士吉田市ではなく富士河口湖町の飛び地となっています。本殿は昭和47年に河口湖勝山にある富士御室浅間神社(里宮)に移されています。

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二合目にある富士講の石碑(諸願成就碑)には「宝永」と刻まれているものがあり歴史を感じさせる。

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二合目から30分程度で三合目に到着します、三軒茶屋と呼ばれていたところで、ようやく見晴らしが利く所になります。昔の茶屋は朽ち果てていますが、屋根の構造は「檜皮葺」のようにも見えますが確かではありません。しかし相当古い時代の建物であったことは想像できます。その後の補修でトタン板を被せています。

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三合目から20分で四合目に到着します。しかし今は、何も残っていません。大黒天を祀った大黒小屋があったのこと。

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四合目から20分ぐらいの所に四合五勺の「御座石浅間社」が現れる。社の存在は確認出来なかったが、隣接の井上小屋はまだ残っています。御座石には富士講の彫刻、石碑が多く残されており、信者たちの思いが強く感じられる所です。

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ここから15分程度で当時の五合目、中宮に到着する。中宮とは富士山の中腹にあるお宮と言う意味のようです。今は、たばこ屋と雲切不動神社の二棟のみしか残っていませんが、このルートで最も山小屋が多かったところで当時の賑やかさが伺い知ることが出来ます。

また、役場が有り山役銭(入山料のようなもの)のチェック、徴収が行われた所でもあります。ちなみに当時の山役銭は122文、江戸末期の1文は現在価値で38円ほどに相当し、今な4600円になる。庶民にとっては決して安くない山役銭でしたね。

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ゴールの「佐藤小屋」までは中宮から15分ほど。佐藤小屋に到着すると一気に視界が広がり、富士の頂きも見ることが出来ます。登ってきた達成感が感じられる一瞬ですね。おそらく古の信者たちも、この感慨を味わったことでしょう。

佐藤小屋から馬返しまでの下りは、ゆっくり降りても1.5時間。日帰り登山にぴったりなコースと言えます。みなさんにも是非お奨めしたい。また「富士山信仰」あるいは「富士講」について少し事前勉強してから登るとより感慨のある山旅となるでしょう。

当NPOの「プライベートツアー」としても、対応出来ます。

スタッフが懇切丁寧にご案内いたします。

<Tommy>

 

 

 

 

 

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