石ころ勉強会第3弾〜富士山はどこまで富士山なんや〜
12月9日(水)
奇石博物館の北垣さんを講師にお迎えして、石ころ勉強会を開催しました。
今回は、芝川〜富士川にそって富士山から流れた溶岩流の追っかけをしました。
芝川溶岩流は、富士山から芝川の谷ににむかって流れこんでいるのですが、
富士山と芝川の間には、青木平の丘があるんです。
どうやって流れてきたんだろう? 乗り越えたのかな、まさか。。
とても変なのです。
その丘は古富士泥流でできていて、芝川溶岩流はその丘の上には見当たらないから、
芝川溶岩のほうが、古富士泥流よりも時代が新しいのは確かなのです。
亀の甲羅のような模様があります。
溶岩がここで、急速に冷やされてできた、柱状摂理の上の面が滑らかに削られて
その割れ目の模様が現れています。(芝川の中橋にて)
芝川の下流へ移動します。
最初は、橋の上で観察しましょう。と言っていたのに、
みんな、どんどん近づいてみたくて仕方が無い。とうとう河原へ下りて、とうとう溶岩に触りにキテシマッタ。
プニュ〜、プニュ〜、と溶岩がはみ出しながら固まった形が見られます。(説明して下さっている北垣さん)
芝川沿いで芝川溶岩の流れた、まさに、富士山の南南西の端っこ。 富士山の端にタッチ。
芝川溶岩は、1万7000年前ほどのもの、と言われています。
さらに下流へ移動します。
ここでは、大宮溶岩の斑晶のようすを観察。
同じ富士山からでてものでも、溶岩流によって斑晶の大きさや入り具合、鉱物の成分が異なっています。ひとつの溶岩流はひとつの噴火=ひとつのマグマだまり、おおよそそのようなことから、出て来る溶岩の顔が変わってくるのだそうです。
白っぽい大きな斑晶、斜長石の結晶が大きくて麦飯斑晶と呼ばれているそうです。
たしかに麦粒くらい大きい。
これが、古富士泥流とよばれているもの。
大宮溶岩や、芝川溶岩よりも古い時代の富士山を形作っていたものです。
2万年前程の、氷河期に噴火して、氷をとかしながら泥となって大量の土砂を山麓へ流し、その水が抜けて固まったもので、
富士山の中で、水を通さない層になっています。
富士山の火山岩の丸くない破片が入っているのが特徴です。
さらに下流へ移動します。
芝川は富士川へと合流します。
富士川の河口近くにも溶岩流が。
丸い石の上に、溶岩流が乗っかっていて、河原に溶岩が流れ込んだことが分かります。
ここは、炭化木が発見されていて、炭素同位体年代測定によって、
1万7000年前くらいの大渕溶岩流の仲間と言われています。
ここから見れば、富士山ははるか遠く、
本当に、富士山の溶岩、よくここまで流れてきたなあ、とつくづく思います。
熱心に質問して下さった、ご参加のみなさま、
講師の北垣さま
ステキな一日を、本当にありがとうございました。